日本肢体不自由児協会とは
協会について
協会の目的
肢体不自由児とは、生まれつき又は出産時の障害、あるいは幼い時の病気や事故などによっ て、手や足、背骨などの運動機能に不自由がある子どもたちのことです。
児童憲章には、「すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不十分な場合は、適切な治療と保護が与えられる」とうたわれています。
肢体不自由児に必要なのは、家族や社会の愛情と理解、適切な治療や訓練、そして社会にとけこんでいくための手助けです。早期の訓練と良い環境が目を見張らせるような成果を上げることは、医学的にも証明されています。
日本肢体不自由児協会は、家族と社会の間に立って、家族を支援し、社会を啓発し、肢体不自由児が最も恵まれた環境にいられるようさまざまな事業を行っています。
療育の理念
たとえ肢体に不自由なところもあるも、次の社会を担って我邦の将来を決しなければならない児童たちに、曇りのない魂と希望をもたせ、その天稟をのばさせなければならない。
それには児童を一人格として尊重しながら、先づ不自由な箇処の克服につとめ、その個性と能力とに応じて育成し、以って彼等が将来自主的に社会の一員としての責任を果たすことが出来るように、吾人は全力を傾盡しなければならない。
- 高木憲次博士 「療育の理念」より -
沿革
大正14年 2月 |
肢節不完児福利会設立 (会長 高木憲次) |
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昭和3年 11月 |
高木憲次博士「肢体不自由」なる名称を提唱 |
昭和7年 |
肢節不完児福利会を肢体不自由児療護協会に改称 |
昭和10年 7月 |
日本肢体不自由児医治養護協会設立 |
昭和14年 4月 |
財団法人肢体不自由者療護園設立(会長・侯爵木戸幸一、理事長・高木憲次) |
昭和16年 4月 |
財団法人肢体不自由者療護園を整肢療護会に改称 |
昭和17年 5月 |
肢体不自由児施設整肢療護園開園(現板橋区小茂根) |
昭和18年 4月 |
法人所有財産・整肢療護園運営を日本医療団に移管 |
昭和21年 5月 |
定員20床で整肢療護園運営再開 |
昭和23年 9月 |
任意団体日本肢体不自由児協会設立(会長・高木憲次) |
昭和25年 2月 |
財団法人日本肢体不自由児協会設立認可(会長・高木憲次) |
昭和26年 10月 |
国有地(現住所)に肢体不自由児施設整肢療護園を国費で改築 |
昭和27年 5月 |
社会福祉法人日本肢体不自由児協会へ組織変更認可(会長・高木憲次) |
昭和28年 11月 |
第1回手足の不自由な子どもを育てる運動実施(今日まで継続) |
昭和30年 5月 |
療育指導誌「はげみ」創刊(今日まで継続) |
昭和36年 8月 |
法人本部・中央療育相談所を豊島区東池袋へ移転 |
昭和42年 5月 |
重症心身障害児施設むらさき愛育園開設(運営を国から受託) |
昭和42年 11月 |
ねむの木賞・高木賞創設(今日まで継続) |
昭和43年 5月 |
常陸宮正仁親王殿下を本会総裁に推載 |
昭和55年 4月 |
運営施設「整肢療護園」「むらさき愛育園」の他に外来、通園療育、相談・判定、指導部門を加え、心身障害児総合医療療育センターへ改組、名称変更 |
昭和57年 12月 |
第1回「肢体不自由児・者の美術展」の開催(今日まで継続) |
平成元年 11月 |
法人本部・中央療育相談所を板橋区小茂根(現住所)へ移転 |
平成7年 7月 |
心身障害児総合医療療育センター改築完成 |
平成23年 7月 |
板橋区子ども発達支援センター事業の開始(板橋区から受託) |
平成30年 2月 |
日本肢体不自由児協会創立75周年記念式典 |